2009年8月のアーカイブ
曖昧な日本語
2009年8月27日 木曜日日常、何の気もなく使っている言葉に曖昧さを感じませんか?
例えば、子供が学校に出掛けるときに「気をつけてね!」と声を掛けると思いますが良く考えてみれば「何に気をつければいいのかな?」と思うかも知れません。道を渡るときには車に気をつけなさいとか、階段で転ばないようにとかの意味を含んでいると思いますが言う方と聞く方ではまったく異なることを考えているかも知れません。
知人にすれ違いざまに「どうも!」と挨拶することもありますが「何がどうも」なんですか? 「宜しくお願いします」なんかもそうですね。
意思伝達のための言葉ですから誤解されてしまっては仕方がありませんので出来るだけ詳しく話すべきと思います。
私は文章を書くときも曖昧な表現は出来るだけしないように心掛けていますがその為に回りくどくなったり、きつい言葉使いになったりする場合がありますが正確に意思伝達する為や誤解を回避する為には仕方のないことだと思っています。
便利な言葉に慣れ親しんでしまって本当の言葉使いを忘れないようにしましょう。
続裁判員制度
2009年8月4日 火曜日3日に裁判員裁判が開廷しました。 裁判員が6名と補助裁判員が3名による審理になりました。 法廷内の様子も従来とは異なり、各裁判員にPCモニタ-が配置されていたり、壁面には大型のモニタ-が設置されていたりして多くの資料は画像モニタ-で確認できる様になっていました。
選任された方々は法の秩序や人権に関して厳しく判断される方々だと思いますが裁判員となると事件の全容を知る事になり、審理の進行に伴い、通常の人としては見たくないものや知りたくないものが多く出て来ると思います。 今回の裁判でも殺害遺体の画像を見せられたようですが正視出来た裁判員はお一人だけだと言う事です。
これが現実の裁判ですので避けられないものですが事件慣れしていない一般人が正視出来ない事件画像や聞くに堪えない事件全容を冷静に受け止めて、冷静に判断して、冷静にその量刑を決められるかが大きな課題となります。
私は殺人事件の被害側家族として法廷に出た事はありますので犯人或いは犯罪人を人格のある一人の人間として冷静に見る事は出来ませんし、絶対に許すことが出来ません。 裁判員は自身の経験が過酷であったとしても裁判を他人事として公平、冷静に判断出来るものでしょうか?
裁判は事件内容にもよりますが一般人には絶えられないものや許されないものが大部分であり、加害者感情や被害者側感情なども加味しながら判断するというのは精神的に大きな負担になると思います。
私の経験では人を見る目や人生観が変わってしまいます。
会社の健康は?
2009年8月2日 日曜日あなたの会社の健康は健康ですか? 世界経済不況で未だに国内経済も立ち直れない状態ですが国策で一部では消費が伸びているものもあります。 しかし、定額給付金と同じで一時的な購買意識の高揚になっていると思いますがその結果、長期的な負債を抱え込む可能性もあります。
会社の経営は景気の良い時に不景気を想定した対策を考えておく必要がありますが実際にはそんな事をする会社は少ないと思います。 健康と同じで病気になる前に対策をしておかなければ回復には多額の費用も掛かるし時間も掛かります。
健康な時にどんな病気を想定して、どんな対策をしたら良いのでしょうか? 会社としては何をすれば良いのでしょうか?
これは経営者に求められる判断と決断なんでしょうが難しい問題ですからじっくりと考えてみます。